事業再生の現場から

廃業の決意から不動産賃貸収入で弁済へ②

前回の続き…

予期せぬ「難敵」(メイン行支店長)の登場で、A社にとっては従来と比べて何の変化も無い中、銀行による「格付」の見直しが勝手に進んだ結果、A社はたちまち資金繰りに窮する事になりました。

まず社会保険料が遅れ、税金も遅れ…

最後には銀行の返済も遅れ出します。

この間の事情と打開策の要請(返済分に相当する金額の折り返し融資)は、メイン行を始めとする取引金融機関3行に続けていたようですが、どうにも埒が開かず、弊社への相談となった経緯でした。

 

銀行が問題にする事情も分かります。

決算書のバランスシート(貸借対照表)を見ると、資産性に疑義を持たれるような勘定が澱のように重なり、結果借入金への依存度がこの10年で倍増しています。

気の利いた銀行マンなら「瞬時に」粉飾決算を疑い、即座にバランスシートの実態調査を検討する筈です。

メイン行の新任支店長は、たぶんそう考えたのだと思います。

過去20年以上に渡って歴代の担当者が気づかなかった(気づかないフリをして来た?)A社の実態にメスを入れる必要性を感じたのでしょう。

「実態把握」が済むまでは「新規融資はNG」との結論が出たのか、A社に毎月訪問して来ていた担当者が交代となり、逆に毎月の資金繰りを説明するよう銀行に社長が呼び出される、今までと「真逆」の対応となったそうです。

 

困窮する資金不足の中、A社長も友人知人やノンバンクからの借入で糊口をしのいで来ていましたが、そもそも営業段階の「損益」が“お化粧”を考慮すると「赤字」でした。

本業の受注見通しや、仕入・原価対策で「営業黒字への転換」を検討しても、この業界で数億円に上る借金を抱えてやって行くのは、現実的には困難だろうとの結論に達しました。

戦後当地の経済を支えて来たこの地場産業の大半は、海外の競争相手に需要を奪われ「瀕死」状態でもありました。

と言う経緯もあって、A社長は私と出会う前「廃業」も視野に入れていたそうです。

 

私も、昭和初期から続く「本業」継続には反対しました。

でも既存債務は数億円に及び、工場も社長の自宅も、銀行借入金の「担保」として「根抵当権」が設定されています。

このまま廃業を選択しては、自宅を始めとする「全財産」を失う羽目になりそうでした。

救いはA社の立地が某自動車産業を頂点とする一大製造業の集積地にほど近く、製造業の生産拠点としては他業種なら「あり」の場所だった事です。

メイン行と相談しながら、A社の借入金を「超長期」に組み替える事で毎月の返済金額を抑え(当面金利も低利で支援いただき)、工場・倉庫を売却せずに「賃貸」する事で、最終的に借入金を「完済」する計画を立て、承認される事になりました。

A社は「業種転換」を選択した事になります。

賃借人は直ぐに決まりました。

毎月の賃料収入で銀行への返済、税務署・年金事務所への分割返済も賄えるのです。

 

「廃業と言えば聞こえは良いが、最悪、破産も覚悟していました。本当にお陰さまで助かりました」

宇都宮餃子を食べながら。

A社長にとって宇都宮餃子は「至福の味」になったのか、最後にお聞きするのを忘れましたが(笑)

 

 



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