事業再生の現場から

忖度=悪ってイメージだけど…

安部首相絡みの「森友・加計学園問題」に端を発した官僚の「忖度」問題。

最近も某副大臣が「総理・副総理の地元の事業ですから、早速忖度しまして…」との失言を残し、政府を去る結果となりましたので、私たちの記憶から「忖度」と言う言葉が、また蘇って来る事となりました。

週末に都内池袋で起きた老人の運転する車の暴走死亡事故も、加害者が元高級官僚なので(警察がその立場を忖度して)逮捕(身柄拘束)されないのではないか、と一部ネットでは批判が出ているそうですが…。(実際は、本人が怪我で入院・高齢な事も考慮されているんでしょうけど)

 

忖度(そんたく)とは、「他人の心を推し量る事」また「他人の心を推し量って配慮する事」だと言います。

公金の使い道を決める事のできる一部権力者(政治家や職務権限のある官僚など)が、支持者・支援者の「心を推し量り、便宜を図る」行為に、国民の大半が「公権力の横暴」「不平等・不公平な所業」とNOを突きつけ、「忖度」と言う言葉にネガティブなイメージを持ってしまっている、そう私は考えています。

 

ところで、この忖度が私たち「民間」で行われる「事業」や「生活」において行われるとしたら、どうでしょう。

私は、日本において「忖度」の第一人者と言えば、文句なく「木下藤吉郎」、後の豊臣秀吉だと思っています。

「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」で知られる(気難しいとされる)織田信長に仕え、後に天下人となる秀吉の少年~青年時代の活躍は、モノの本で多くの人々が知るところです。

藤吉郎は、主君・信長の「意」をいち早く察し、文字通り命を懸けて信長の天下獲りの一助となりました。

その中でも、信長勃興期で藤吉郎が最も評価されたと言うのが「西美濃三人衆の調略」だと言います。

尾張一国を平定し岐阜城を攻略した信長は、京に進出して天下へ号令する日を密かに望んでいたそうです。

信長に近侍してその意向を密かに知った藤吉郎は、尾張から京へ進出する際に通行路となる西美濃に勢力を張る三人の豪族(稲葉・安藤・氏家の各氏)に誼を通じこれを調略、織田方に味方として引き入れ、信長の京への道づくりに多大な功績を残したとされています。

まさに「信長の意向」を「推し量って」大胆に行動した結果、大きな手柄を立て自身の出世の一助となった出来事であったようです。

その他、私たちが社会生活を送るうえでも、相対する相手が、自分(私)の気持ちを推し量って対処してくださったとしたら…

とっても気分良く過ごし易い社会のような気がしないでもありません。

 

然るに「公権力を行使できる立場の人達」の話だから、私達はオカシイ・面白くないと思うのであって、通常の生活レベル・民間で「忖度」する、される事については、特段違和感は無いような気がするのです。

「忖度」そのものが悪い言葉・行為では、必ずしも無いような…

 

 

 



コメント

※コメントは承認制となっております。承認されるまで表示されませんのでご了承ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です