事業再生の現場から

吉田調書の公開

福島第一原発事故調査・検証委員会が、事故発生当時の現場対応等の状況を故・吉田昌郎同所長から聴取した「吉田調書」が、昨日公表された。

公表された内容が、既報道と相違していたとして「誤報」を認めた朝日新聞は、編集担当役員の解任を発表、福島第一原発事故当時の対応を巡って外野では喧噪賑やかですが、私は今朝の新聞で「吉田調書」の詳細を見て感じ入ったことがあります。

それは、第1号機に続いて第3号機が水素爆発した時の吉田元所長の心情を記述した部分で、「(第1号機に続き)第3号機が爆発して40数人が行方不明と聞いた時、此処で腹を切ろうと覚悟を決めた」と語っている所です。

放射能の拡散を防ぐため、現場では文字通り必死の作業が昼夜続いていました。

自衛隊による空中からの注水や消防庁隊員による注水活動、海水使用に踏み切った後、司令部からは「中止命令」が出たのに、現場の判断で続行を指示していたことなど、心も体も休まる時間も無く、現場に残る作業員の健康も考えながらの、命懸けの判断だったと思います。

今後、先の原発事故の教訓が生かされる事態が生じてはいけないのだと思いますが、故人の努力と英断は、私達の心の中に残されて行くのです。

 



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