事業再生の現場から

事例集④

久し振りに事例集をHPにアップしました。

事例集⑳です。

因みに事例集も毎月リリースを目指しているのですが、これがなかなか「鮮やかに目の覚めるような」案件の紹介が少なくなり、読み手としてみれば、正直“小粒”なものが増えてきているとの印象を持たれているかと思います。

まっ、仕方ありません。

私達の毎日の行動は「ドブ板」営業のようなものですからね(笑)

さて、事例集⑳で紹介した案件は、私村上の担当案件でした。

元々地元素封家の当主を務める社長さんが、バブル期に資産活用を目的とした不動産投資(貸ビル業)に進出、一時は事業の面でも「成功者」として世間から持て囃されていたのが、バブル崩壊によって所有資産価値が数年の間に1/10程度に激減、銀行関係の取引も上手く行かなくなった、という今時珍しくもない案件でした。

ただ平成2年の「総量規制」によって崩壊が始まったとされる「バブル経済」の残渣(ざんさ)が、金融機関において未だ未処理であった事に私は正直ビックリしてしまいましたが…。

「まだ(不良債権処理が)終わってなかったんかい!」みたいな突っ込みが、頭を過ぎった記憶があります。

投資した貸ビルの老朽化が進み、入居率低下&家賃引下げ圧力拡大も相俟って、家賃収入は年々減少しています。

一方銀行借入金は、もう10年以上前から「元金据え置き」扱いの利払のみ返済(返済って言えないとは思いますが)で、取引銀行とすれば「最大限の支援をしている」という事になっていました。

地元の素封家(有力者)なので、親戚・知人を介しての各方面への影響力も強く、その辺りを慮って「問題先送り」を計って来たのでしょう。地方を地盤とする金融機関では、良くあるパターンです。

但し「問題先送り」ですから、銀行にとっても債務者(T社)にとっても、この「最大限の支援」継続は問題解決の手段にはなり得ません。

お互いが傷つけ合うのを避け「まぁ昔からこうやって来たんだからさぁ」とばかり、前例に倣っての取引を延々10年も続け、なおこの先も続けて行こうという事だったのでしょうか。

まだ本題に入れませんね、次回に続けますね。

 

 

 



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