事業再生の現場から

兵どもが夢の跡③

またまた続きです。

ダンプの運ちゃんと「すったもんだ」した事もありますし、「仮処分」掲示用の立て看板も次長に手伝って頂いての手作りです。

ホームセンターでべニア板と角材を買って来て、支店に戻って“トンチンカンチン”。

物件の面積が広いので、3箇所に表示するよう確か3本くらい作った気がします。

仮処分当日は、執行官の現地立ち合いの下、私がスコップで穴を掘って立て看板の柱を差し込み、次長がスコップの裏で看板の頭をパンパン叩く作業をした覚えがあります。(お馬鹿さんで長靴をはいて行かなかった私達は、足元を泥だらけにして支店に戻ったのでした(笑))

これでようやく担保物件への産業廃棄物搬入が止まったのですが、隣接する地主や近隣住民からは、ヤマと積まれた土砂や建設廃材から汚染された水が出ているのではないか?と役所に問題提起され、早急な担保処分を目指していた私達と役所(公害環境課や都市計画課)、町長さん達三役も加わって「どういう形で問題を解決するか?」何度も話し合いの機会を持つことになりました。

昨日も紹介しましたが、とにかく「農業振興地区(農振地区)」の農地でありながら(産廃のヤマで)農地利用が実質不可状態であれば、転用して利用価値のある土地にしなければ買受人は見つからないのです。

その時に町の担当者から「将来的には(当該土地の道の反対側に)道の駅構想があって」という話は聞いており、物流倉庫として活用方法があるのではないか(取引先に物流業者が居たので)と考えた私達は、猛烈に町長や農業委員会の議員さんを紹介して頂いて「転用工作」を進めたのですが、行政の動きは鈍く、結果を見る前に(私は)転勤することになりました。

それから13年です。

13年振りに見た土地からは、かつて此処にヤマのように積まれた土砂を想像させるものは何一つ無く、フェンスで囲まれ整地されアスファルトで固められた上に綺麗に線引きした駐車場と立派な葬祭場がドーン。

感慨に耽り、3日間もこの話題を語ってしまいました…。

事の顛末は私も詳しく知りません。

本部へ転勤した私は、隣の部署でサービサーに債権譲渡(売却)するリストにO氏の債権が担保付で載っている事を確認しましたが、担保付でサービサーの手に渡った債権者が迷彩服のアパートと産廃のヤマの広大な土地をどう処分したのか、知るすべもないのです。

ただ目の前には、かつていろいろな経験をさせてくれた思いでの土地があるばかりです。

私達(私と次長)にとって、O氏一派が手強い「兵ども」だった事は間違いない処です。

人間50年も生きているといろいろありますが、とにかく「張り込み」で徹夜したのはこの案件だけでしたからネ。

あとダンプに轢かれそうになったのも(笑)

 

 

 



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