改革
第1回の事業仕分けで削減・廃止となったものが、
名前を変え、手段を変えて生き残っているのだそうだ。
それもそのはず、いくら事業を廃止しても、
そこにいる人、雇用まで廃止(解雇)しているのではないのだから、
廃止となった事業の当事者は、何としてでも生き残ろうとするだろう。
その結果、姿を変えて生き残りを図ろうとするのは当然の結末である。
明治維新、
徳川幕府と大名を崩壊させたことで、当時の行政官(公務員)であった武士は失業した。
その結果、世の中は様々な軋轢を生んでしまった。
しかし、その改革があったからその後日本は世界への道を開くことができた。
改革は痛みを伴うもの。
誰も痛まない改革は改革とは言えない。
もし事業仕分けを進めるのであれば、
今度は「痛み」を伴う覚悟をして臨むべきである。
歴史は繰り返す。
幕末、徳川家をはじめ各大名の経営状態は極度に悪化し、
借入金頼みの財政運用となっていた。
さて、現在900兆以上に膨らんだ国債発行高。
鉄砲と大砲は出てこないまでも、
そろそろ「流血」の時が近づいているのかも知れない。
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