花見一考
ここ栃木県宇都宮市は昨日が桜の満開日。
桜と言えば「花見」。
今年はどれほどの人々が花見という名の「会合」を開いたことだろう。
特に「仕事仲間」とのふれあいがどれほどあったとこやら。
年々少なくなっていくこう言った「場」。
自粛ムードを不景気の予兆の中で、どれほどの会社が思い切ってやったのだろう。
「和をもって貴しとなす」
日本はその風土から古来より「調和型」の組織を重んじた。
その調和を保つための道具としての「宴会」。
古来より「祭り」「儀式」として、それはそれで機能していたのだろう。
さてさて昨今、自粛の有無に関わらず花見を開かない会社が多い。
もともと花見などという行為は「めんどくさい」のである。
組織の構成員は心底から求めているわけではないし、
企画・準備・片付け・・・・手間もかかれば金もかかる。
だから「辞めてしまおう」という訳である。
しかし、なぜそんな手間を今までやっていたのだろうか?
なぜ人々は弁当を作り、桜の元に集まったのであろうか?
こんな時勢、もう一度考えてみるもの一興なのでは。
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