親子
親の心子知らず。
仕事柄事業承継に関わることが多く、
その分数多くの「親子」を見てきた。
子の心は親に、親の心は子に、
なかなか伝わらないものである。
先日のこと、
またしてもこんな場面に出くわした。
そこは地元の小さな建設業者、
親爺である社長は営業のため様々な業界団体や任意団体に参加している。
そのため会社は小さいながらも、誠実さで顔の知られた存在となっている。
しかし、もともと面倒見の良い親爺、
支払に甘い部分もあって、ここ数年赤字計上を続けている。
リストラ策立案となり、最初は経費の削減から。
経営陣全員(と言っても家族会議の延長なのだが)を集め、
まずは無駄な経費は何かを検討しはじめたところで意見が衝突。
息子(呼称は専務)からみると、
親爺の所属している団体の年会費や会合代は「経費の無駄使い」。
昼間から仕事もしないで贅沢で美味しい食事をして、
お喋りしているのは「無駄」としか判断のしようがない。
親爺から見れば、ネームバリューもブランドのない小さな会社、
多くの人に会い、顔を知られ、酒を酌み交わし、ようやく小さな仕事から始められる。
そのきっかけを作るための投資や経費なくして、売上は上がらない。
創業者でもあるその社長、子の会社の売上の「源泉」が何かを良く理解している。
その上会社の経営状態は自分が一番良く知っているし、贅沢などしたい訳がない。
会議は最初から平行線。
それを契機に最後はとうとう親子喧嘩。
どんなことも「見方」「捉え方」で価値観が変わっていく。
弊社の仕事はそれを調整することだし、親子喧嘩と思えばどこにでもある風景。
会社の体を成すため、なんとか数字を纏めてその会議は終了してのだが・・・・
親は子に自らの越し方を知らせ、考え方を教えようとする。
子は自らの生きていくであろう「時代」の要請を取り入れて変わろうとする。
正しいかそうでないかの問題ではなく、
どちらを選択し、実行するかの違いなのだろう。
有史以来、古今東西、変わらぬテーマがそこにある。
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